つ、辛い。エーーーーーーーーーー。無駄に成ったパーツ群、其の一部。何度したか判らない設計変更。その度に図面をひき直し。大きな材料から金鋸で欲しい寸法を取り出して、其れからの機械加工。笑われるかもしれませんが、金鋸の柄が、金属疲労でポッキリ折れました。

正直、こんなに時間と手間が掛かるとは思ってもいませんでした。ヤフオクで手に入れたタンクとシートをピンクのボディーに乗せたら、カッコイイーーー。其れが間違いの始まり。本当はピンクをイェローにカラーリングを換え、ちょこっと弄るつもりだったのに・・・・・・・・・・。

ある意味、僕の体のリハビリも兼ねていたのです。此処に書くか迷ったのですが、これを読んでいる方の近くに僕と同じ病をして悩んでいる方がいましたら、ほんの少し、元気付けのお役に立てればと・・・・・。

平成14年10月22日。一生忘れられない日に成りそうです。

朝一番で買い物中、経験のした事の無い立ち眩み。暫くしゃがみ込んでいたらとりあえず回復。でも何か変。帰りハタカブ運転中にハンドルが振れ出した。パンクかと思ったが異常無し。暫く道端でしゃがみ込む。また走り出す、何度か不思議なハンドル振れ。真っ直ぐに走れない。休み休み店に到着。変な胸騒ぎ。疲労と思い、仕事はせずにゴロゴロ。夕方にはチョット良くなったのでBMを弄りだす。其の頃はフロントフォークの狂いが見つかり、スペアフォークの塗装が終わり、交換するだけの状態。外しただけでとりあえず終える。(まさか其の時は、このままの状態が長く続くとは・・・。)

帰宅、好きな酒も飲まず布団につくが、眠れない。このまま寝ると朝が来ても目が覚めない(つまり死んでいる)と言う不思議(不安)な気持ちに襲われる。それでもトロトロと寝たり目が覚めたりの状態。AM3:00に目が覚めて寝付けなくなり、トイレに行こうとすると、真っ直ぐに立てない。平衡感覚がなくなっている。壁につかまりやっとの思いでトイレへ。

布団に戻り寝付けなくビデオを見、少し眠くなってきたので其の侭睡眠。

翌朝、娘と話すがろれつが廻らない。ユックリとでないと話せない。平衡感覚が無いのは同じ。この頃はこの病気の予備知識ゼロ。判っていれば前日の内に病院へ駆けつけ、此処までには成らなかった筈。

女房の車の所までも行けそうも無いので、救急車を呼ぶ。近くの総合病院へ搬送。医者の診断。脳梗塞。

MRIで検査。脳幹梗塞と判明。此処の部分は平衡感覚が無くなるのだと言う。勿論運動障害、言語障害も伴う。加藤大二郎と同じ病気だ。

入院した日はまだ、手足が動かせたが、翌日には右手足が丸っ切り動かない。言語も舌がもつれて駄目。俺の人生はこんな終わり方をするのかと思うと、いてもたってもいられないが現実は厳しい。初めて車椅子に乗ったが、勿論一人では乗ることも降りる事も出来ない。看護士の女の子に全て面倒を見て貰う。ナサケナイ・・・・・・・。

1週間程で、主治医からの宣告。右手は治りません。利き手を左手にする様訓練をして下さい。足は歩ける程度までなら回復できるでしょう。これからはリハビリ中心になるので、専門病院へ転院してください。目の前真っ暗。

リハビリ病院での所見。脳幹ですので平衡感覚は戻らないでしょう。何とか頑張っても自転車がやっと、バイクなんてとんでもない。

 

 

そんな思いをした人間が、今こうしています。正直、BMにもう一度乗れるかどうかは判りません。ハンターでさえ、前みたいな運転は出来なく成っています。でも、今でも少しずつですが体の状態は元に戻って来ています。諦めない。

2007.2.20

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